【まったく集中できませんでした。】
【まったく集中できませんでした。】
先日の妙心寺ヨガリトリートで頂いた感想。
「ものすごく感覚が研ぎ澄まされて
なんともいえない気持ちよさを感じた
前回の座禅にくらべ、
今回はまったく集中できませんでした。
ただ、
その後の狩野探幽のすばらしい雲龍図や庫裏を
観せていただく幸運に恵まれ、
そこで高揚感が湧いてきたのが良かったのか、
その後の写経はリラックスして
スラスラと筆が動き、
集中することができました。」
率直に思ったことを
シェアしてもらってありがとうございます。
集中できなかった。
いい経験をされたなと思いました。
集中できないときがあることで、
集中がわかるから。
気づいているから。
瞑想に集中しようとしてもできなかった。
そんな時もあると思います。
前回がなんともいえない気持ちよさを
感じていたら、今回も。
でもその期待通りでないとなんかがっかりな気分に。
いつもいつもうまく思ったように行くわけではない。
期待通りでないと失敗した?
意味なかった?
なんて思うかもしれません。
でもそんなことはないです。
日によって、時によって違う。
経験だから。
生きものだから。
だけど、
重ねていると
感覚が掴めて深さが増していく。
詳しく微細に観ている。
その道の途中。
淡々と重ねていく。
道の途中、どの経験も尊いものだと思います。
続けていると、
深さと心地よさ・幸せ感が増すのと、
入るスピードが早くなります。
静寂へ溶け入り冴え渡り、
閃きもきます。
場所がお寺で、修行の場。
だから、
特に前回感覚が研ぎ澄まされて
なんともいえない気持ちよさを感じられたのは
あるかもしれません。
場の環境は確かにあります。
そして、
だんだん関係なくなっていく。
そんな風に思います。
座って集中が難しければ、
身体を動かす集中から始めるといいと思います。
“調身・調息・調心”
身体を調え、
呼吸を調え、
そして
心が調う。
この感想を下さった方は
既に深い集中を
座ること、それ以外で体得されていると感じています。
最後に
瞑想での体験は、
個人の豊かなものだから、
他と比べて憧れたり、
期待したり
焦ったりする必要は全くありません。
だから
まずは気楽にやってみるといいです。
わからなかったら、言ってくださいね^_^