私の落ちこぼれストーリー③
オーストラリアのバイロンベイでティーチャートレーニングに参加した話、続きです。
トレーニング中の解剖学、ヨガ哲学が英語でわからないという、知識だけでなく言葉の壁にぶち当たる。
わからない焦りと空回りで、どんどん浮足立っていく。
じりじりと焦っていく。
わからなくてどんどん自信をなくしていった。
日常会話すら自信を無くして、話すのが嫌になった。
会話が全く入ってこない時もあった。
「なんで私、ここに来たんやろ?」
何度もそう思った。
レッスンの最後、シャバーサナで仰向けの時に、涙が出てきた。
緩むと、涙がじわっと出てきて止まらなかった。
大きな挫折を感じた。
落ちこぼれて、グループのワークのテンポを乱したりもした。
でも誰も私を責めることはなかった。
温かく見守ったり、サポートしてくれた。
優しいなぁ。ってありがたく思ったけど、
自分に必死すぎて、
正直受け取れていなかったと
振り返って今思う。
自分自身が情けなくて休憩中や夜に何度も泣いて、場違いなところに来たと思った。
ヨガが好きでもっと知りたくて深めたくて、ここに来たけど、チャレンジが大きすぎたか。。。
ここに来ることを自分で選んだ。
義務でもなんでもない。
何度もあきらめようかと思った。
トレーニングの場に居ること自体がつらくなっていた。
もう無理やわ・・・。。
泣いても、疲れていてもトレーニングは進んでいく。
泣き続けたところで何も変わらない。
時間は過ぎていくし、目が腫れてブサイク。
周りは気遣って声をかけてくれる。
だけど、
状況を変える、やるかやらないかは自分で決めるほかない。
「やると決めてきたのだからやるんだ。」
たくさん泣いた後に、腹をくくった。
泣いている間なんてない。
内側からぐわーっと力が湧いてきた。
弱くてへなちょこな私でいる場合ではないのだ。
しんどい時でも腹をくくって進んだことがある。
アトピーとの付き合い、受験勉強、野村證券営業10年、、
しんどい経験は、のちの人生で壁を超えるのに役立つ。
しんどい経験は、成長のチャンス。
しんどい経験は、器を大きく深くするとき。
泣いて落ちる所まで落ちたら、ふっと吹っ切れた感じ。
なんとか必死に付いていった。
結局リタイヤはしなかった。
自分で吹っ切れて、腹をくくったことと、
他の日本人やルームメイト(タスマニアから来ていた)にも助けてもらった。
特に
かずえさんには本当にお世話になった。
感謝してもしきれない。
そんなこんなで、なんとか修了書を手にした。
解剖学や哲学もとりあえずクリアし、日本でこれからしっかり学ぼうと思った。
(のちに、日本で別のRYT200を再び学びなおした。)
1か月ほどの話だが、とても濃い時間だったと振り返って思う。
好きなこと、興味あること、チャレンジしていることで落ちこぼれるのは正直つらかった。
だけど、
簡単に手放せない、手放したくない、
学びたい、やり遂げたい気持ちが
あった。
“もう無理”という気持ちとのシーソーバランス。
「なんで私、ここに来たんやろ?」
この問いで、初心を思い出した。
ムダな経験は一つもない。
自分が決めれば周りもサポートしてくれる。
というか、
いつでもサポートの手を差し伸べてくれているのに、
浮き足立ち、
余裕がなく、
周りに頼ることも自分でOKが出せてなかったのだと、振り返ってみてわかった。
修了書だけでなく、
大切なことに気づき経験したトレーニングになった。
次回は、
トレーニング中、街のスタジオで実際にレッスンをした時のことを書きますね。